あの頃の僕に
2002年10月13日 ♪抑えきれない想いや、人が泣いたり悩んだりすることは生きてる証拠
全部を書くと著作権に抵触しそうなのでここらにしておきます。いや、一部でもダメなのか。訴えられたら負けるのか。カツ丼食えるのか。まあいっか。
とにかく、冒頭の詩はFIELD OF VIEW(以下FOVと略す)というバンドの「君がいたから」という曲の歌い出しである。
中学生の頃、俺の一番好きな音楽屋(アーティストという呼び方に抵抗を覚えるのね、俺)は間違いなく彼らであった。「突然」がポカリスエットのCMで流れたときに、その耳に残るメロディに惹かれ、近所のレンタルショップでCDを借り、一度聴いて最高に好きになった。テープに録音した音源を、何度も何度も巻き戻し&再生していた。
ところが、最初は非常によいスタートを切ったFOVも、「DANDAN心魅かれてく」以降はセールスにも恵まれず、同級生には「まだそんなの聴いてるの?」と言われる始末。
俺は声を大にして叫びたかった。
売れてる音楽だけがいいわけじゃない。GLAYを聴いてたら、ミスチルを聴いていたらお前は偉いと言うのか。
でも、そんなの所詮敗者のひがみに過ぎなかった。ファンが少ないということは、価値観を共有できる人が少ない、ということ。今思えば、この頃からすでに「アンチメインストリーム」の根性が芽生えてきたのだと思う。
そんな甘酸っぱい思い出と、ビタースイートな感情が、the FIELD OF VIEWのラストDVDを見ていると湧きあがってくる。
彼らは、今年、解散する。
「突然」のプロモーションビデオ。若い浅岡氏。長髪の小田氏。セットが後期よりややシンプルな小橋氏。久々に見ると「明らかに浮いてるなあ」な安部氏。
そして、ミドルティーンの頃の自分。
今の自分と重ねてみたとき、どちらが大きく見えるのかな。
全部を書くと著作権に抵触しそうなのでここらにしておきます。いや、一部でもダメなのか。訴えられたら負けるのか。カツ丼食えるのか。まあいっか。
とにかく、冒頭の詩はFIELD OF VIEW(以下FOVと略す)というバンドの「君がいたから」という曲の歌い出しである。
中学生の頃、俺の一番好きな音楽屋(アーティストという呼び方に抵抗を覚えるのね、俺)は間違いなく彼らであった。「突然」がポカリスエットのCMで流れたときに、その耳に残るメロディに惹かれ、近所のレンタルショップでCDを借り、一度聴いて最高に好きになった。テープに録音した音源を、何度も何度も巻き戻し&再生していた。
ところが、最初は非常によいスタートを切ったFOVも、「DANDAN心魅かれてく」以降はセールスにも恵まれず、同級生には「まだそんなの聴いてるの?」と言われる始末。
俺は声を大にして叫びたかった。
売れてる音楽だけがいいわけじゃない。GLAYを聴いてたら、ミスチルを聴いていたらお前は偉いと言うのか。
でも、そんなの所詮敗者のひがみに過ぎなかった。ファンが少ないということは、価値観を共有できる人が少ない、ということ。今思えば、この頃からすでに「アンチメインストリーム」の根性が芽生えてきたのだと思う。
そんな甘酸っぱい思い出と、ビタースイートな感情が、the FIELD OF VIEWのラストDVDを見ていると湧きあがってくる。
彼らは、今年、解散する。
「突然」のプロモーションビデオ。若い浅岡氏。長髪の小田氏。セットが後期よりややシンプルな小橋氏。久々に見ると「明らかに浮いてるなあ」な安部氏。
そして、ミドルティーンの頃の自分。
今の自分と重ねてみたとき、どちらが大きく見えるのかな。
ロシアン・ルーレット
2002年10月5日 キリンさんが「ドイツ語がよく分からんまま単位が取れた」と仰っていたが・・・
私の場合、ロシア語がそれにあたる。
おかしいのだ。私は願書にはきちんと「中国語キボンヌ」と書いたはずだ。ところが、実際に入学してみると、何故かロシア語になっていた。
私の大学の第二外国語で、一番単位が取りやすいのがロシア語、次が中国語、そして以下ドイツ語、フランス語と言われている。中国語を希望した理由は「漢文が得意だから」ただそれだけなのだが、ロシア語と中国語を比べたときに、「将来的に」中国語は使う可能性が少しはあるかもしれないが、ロシア語はまずない、というのが理由である。格変化がキツそうなフランス語とドイツ語は却下である。
さて、まあそんなわけでロシア語を履修することになったのだが、ロシア語の発音は日本語と似ているらしく、割と「それっぽく喋れる」のだ。
例えば「どんぶり人」と言えばロシア人は「こんにちは」とちゃんと理解してくれる。英語の「掘ったイモいじくるな」が「What time is it now」に聞こえるのと同じような原理である。
その中で、一番傑作だったのが「穴、イボ痔なん」これである。これを聞くとロシア人は「彼女は彼の妻です」と聞こえる(ようだ)
こういう語呂合せもいいのだが、それよりも先生が強烈なインパクトを放っていた。
「来週、テスト、します。Noblegrayさん、あなた、来週から、来なくていいです」
これは「全出席なので、試験免除です」という意味である。だが、初めてこれを言われたときは、そりゃーもうびびったさ。
「黒くて、カワイイ」
これは授業中に出てきたゴキブリを指して放った言葉である。
ロシア人、恐るべし。
私の場合、ロシア語がそれにあたる。
おかしいのだ。私は願書にはきちんと「中国語キボンヌ」と書いたはずだ。ところが、実際に入学してみると、何故かロシア語になっていた。
私の大学の第二外国語で、一番単位が取りやすいのがロシア語、次が中国語、そして以下ドイツ語、フランス語と言われている。中国語を希望した理由は「漢文が得意だから」ただそれだけなのだが、ロシア語と中国語を比べたときに、「将来的に」中国語は使う可能性が少しはあるかもしれないが、ロシア語はまずない、というのが理由である。格変化がキツそうなフランス語とドイツ語は却下である。
さて、まあそんなわけでロシア語を履修することになったのだが、ロシア語の発音は日本語と似ているらしく、割と「それっぽく喋れる」のだ。
例えば「どんぶり人」と言えばロシア人は「こんにちは」とちゃんと理解してくれる。英語の「掘ったイモいじくるな」が「What time is it now」に聞こえるのと同じような原理である。
その中で、一番傑作だったのが「穴、イボ痔なん」これである。これを聞くとロシア人は「彼女は彼の妻です」と聞こえる(ようだ)
こういう語呂合せもいいのだが、それよりも先生が強烈なインパクトを放っていた。
「来週、テスト、します。Noblegrayさん、あなた、来週から、来なくていいです」
これは「全出席なので、試験免除です」という意味である。だが、初めてこれを言われたときは、そりゃーもうびびったさ。
「黒くて、カワイイ」
これは授業中に出てきたゴキブリを指して放った言葉である。
ロシア人、恐るべし。
Birthday eve
2002年9月30日 さて、十月ももう目前である。
「十月一杯で辞める」と塾には言っていたのに、どうも辞めれそうにない雰囲気。いや、自分に「本当に辞める気」があるのならば辞めれるのかもしれないが、先輩・上司には恩があるし、生徒は無茶苦茶かわいい。一応、表向きの理由は「就職活動に専念して、自分のやりたいことを見つけたい」なのだが、本当の理由は「後輩達とウマが合わない」のである。
中学の時にサッカー部と陸上部に入っていたが、どちらの部でも後輩とのコミュニケーションは0であった。自分の中に「後輩はかわいいもの」だとか「後輩は先輩が教育すべきもの」だとかいう観念が欠如しているように思われる。先輩とは上手くやっていける。だが、後輩というものは嫌いだ。
ところが、先ほども書いたように、「生徒」は滅茶苦茶かわいい。「後輩」と「生徒」が自分の中ではそういう位置付けになっている。
愛情のリフレクションとでも言うべきか。後輩からは嫌われているが、生徒からはそれなりに慕われている。誕生日プレゼントやら、バレンタインやら、行事があるとそれなりにモテモテになる。
バレンタインは、男の先生ならば皆ある程度貰える。しかし、誕生日プレゼントというものは、少し特別だ。まず、先生のプロフィールを知らない限りは、誕生日を祝うことすらできないのだから。それゆえ、バレンタインよりも誕生日プレゼントの方が、なんとなく「愛」を感じてしまうのだ。
さて、今年の誕生日に、私は四人の生徒からプレゼントを頂戴したのだが、これのお返しに困るのである。
バレンタインのお返しはホワイトデー。そう決まっている。しかし、こういったもののお返しはどうすればいいのだろうか?
四人の中、一人はすでに誕生日が過ぎていたので、旅行に行ったときのお土産をあげた。残る三人は、それぞれの誕生日にプレゼントをあげることにする。
しかし、ここで問題が発生。
一体何をあげれば喜んでくれるのか?
「女性心理」の分かる方、どうかお助けを…
「十月一杯で辞める」と塾には言っていたのに、どうも辞めれそうにない雰囲気。いや、自分に「本当に辞める気」があるのならば辞めれるのかもしれないが、先輩・上司には恩があるし、生徒は無茶苦茶かわいい。一応、表向きの理由は「就職活動に専念して、自分のやりたいことを見つけたい」なのだが、本当の理由は「後輩達とウマが合わない」のである。
中学の時にサッカー部と陸上部に入っていたが、どちらの部でも後輩とのコミュニケーションは0であった。自分の中に「後輩はかわいいもの」だとか「後輩は先輩が教育すべきもの」だとかいう観念が欠如しているように思われる。先輩とは上手くやっていける。だが、後輩というものは嫌いだ。
ところが、先ほども書いたように、「生徒」は滅茶苦茶かわいい。「後輩」と「生徒」が自分の中ではそういう位置付けになっている。
愛情のリフレクションとでも言うべきか。後輩からは嫌われているが、生徒からはそれなりに慕われている。誕生日プレゼントやら、バレンタインやら、行事があるとそれなりにモテモテになる。
バレンタインは、男の先生ならば皆ある程度貰える。しかし、誕生日プレゼントというものは、少し特別だ。まず、先生のプロフィールを知らない限りは、誕生日を祝うことすらできないのだから。それゆえ、バレンタインよりも誕生日プレゼントの方が、なんとなく「愛」を感じてしまうのだ。
さて、今年の誕生日に、私は四人の生徒からプレゼントを頂戴したのだが、これのお返しに困るのである。
バレンタインのお返しはホワイトデー。そう決まっている。しかし、こういったもののお返しはどうすればいいのだろうか?
四人の中、一人はすでに誕生日が過ぎていたので、旅行に行ったときのお土産をあげた。残る三人は、それぞれの誕生日にプレゼントをあげることにする。
しかし、ここで問題が発生。
一体何をあげれば喜んでくれるのか?
「女性心理」の分かる方、どうかお助けを…
悲しみの向こう側の向こう側O.P.2
2002年9月28日 いよいよ「実況パワフルプロ野球」の修復にかかりたいと思う。
先ほどCDを修復したのと同じ要領で、歯磨き粉を塗り、布で擦ってやる。
すると、CDの時と同様、目立ったキズはどんどん消えていき、その代わりに非常に細かいキズが無数にできてしまった。
キズのせいで、DVDの鏡面が曇ってしまい、光を反射させてみても鈍く光だけで、以前のような輝きはなくなってしまった。
果たして、これで直ったのか?
プレステの電源を入れ、ソフトを挿入。すると……前までの三倍ほど読みこみに時間がかかるものの、なんとか復活した!
実際にゲームをしてみると、DVD回転の音がやたらとうるさかったり、読み込みに時間がかかったり、動作がやや不安定になるなどの問題はあったものの、普通に遊ぶことができた。
もう一度、CD修復をおさらいしておこう。
まずは、平らな場所にCDを置く。手に持ってやるのはNG。手に持ったまま磨くと、CDに余計な負担がかかり、ひび割れる可能性がある。
平らな所に置いたら、キズの部分に歯磨き粉を塗る。この場合の歯磨き粉、塩が入っていたりするものは避けたほうがよい。私はデンターT(ライオン)を使った。
次に、細かい布で丁寧にキズを擦る。決して爪を立ててはいけない。
最後に、鏡面にうっすらと残った歯磨き粉を落とすため、水を数滴垂らして、新しい布で拭く。
恐らく、車のコンパウンドを使って、さらに目の細かい布を使ったりすると、仕上がりは見違えるほどキレイになると思われる。
なお、全てのCD/DVDが直るわけではない。自分で焼いたCD−Rにカッターで三箇所ほどキズをつけてみて、それの修復を試みたが、キズは消えなかったし、CDも音とびが直らなかった。
軽い症状の場合は自力で直せるものだ。もし、キズがついて聴けないCDがあれば、試してみてはいかがだろう?
ただ、CDはキズがつかないように保存するのが正しいのだが……
先ほどCDを修復したのと同じ要領で、歯磨き粉を塗り、布で擦ってやる。
すると、CDの時と同様、目立ったキズはどんどん消えていき、その代わりに非常に細かいキズが無数にできてしまった。
キズのせいで、DVDの鏡面が曇ってしまい、光を反射させてみても鈍く光だけで、以前のような輝きはなくなってしまった。
果たして、これで直ったのか?
プレステの電源を入れ、ソフトを挿入。すると……前までの三倍ほど読みこみに時間がかかるものの、なんとか復活した!
実際にゲームをしてみると、DVD回転の音がやたらとうるさかったり、読み込みに時間がかかったり、動作がやや不安定になるなどの問題はあったものの、普通に遊ぶことができた。
もう一度、CD修復をおさらいしておこう。
まずは、平らな場所にCDを置く。手に持ってやるのはNG。手に持ったまま磨くと、CDに余計な負担がかかり、ひび割れる可能性がある。
平らな所に置いたら、キズの部分に歯磨き粉を塗る。この場合の歯磨き粉、塩が入っていたりするものは避けたほうがよい。私はデンターT(ライオン)を使った。
次に、細かい布で丁寧にキズを擦る。決して爪を立ててはいけない。
最後に、鏡面にうっすらと残った歯磨き粉を落とすため、水を数滴垂らして、新しい布で拭く。
恐らく、車のコンパウンドを使って、さらに目の細かい布を使ったりすると、仕上がりは見違えるほどキレイになると思われる。
なお、全てのCD/DVDが直るわけではない。自分で焼いたCD−Rにカッターで三箇所ほどキズをつけてみて、それの修復を試みたが、キズは消えなかったし、CDも音とびが直らなかった。
軽い症状の場合は自力で直せるものだ。もし、キズがついて聴けないCDがあれば、試してみてはいかがだろう?
ただ、CDはキズがつかないように保存するのが正しいのだが……
悲しみの向こう側の向こう側O.P.1
2002年9月27日 私は自室で妹の肌着を切り裂いていた。え、あ、いや、そっちの趣味じゃないですよ。
昨日の日記に書いたキズのついたDVDを直すためである。
ネットで調べたところ、キズを消すためには研磨剤と柔らかい布が必要とのこと。
母親に「柔らかい布ない?」と訊いたところ、妹の古い肌着を出してきた。それを適度な大きなに刻んでいた、というのが冒頭の状況である。
こうして柔らかい布は手に入った。しかし、研磨剤はどうしようか。車のコンパウンドでもあれば最高なのだが、残念ながら家にはなかった。オートバックスまで行くのも面倒だ。
しかし、身近にあるもので代用できるのだよ。明智君。
歯磨き粉(デンターTbyライオン)
役者が揃ったところで、いよいよ作業に入ろうと思う。
まずは、練習の意味もかねて、キズがついて聴けなくなったCDを磨いてみよう。
磨くCDは「バルビエファースト」私が中学三年生のときに購入し、以来、毎年クリスマス前になると我が家のヘヴィーチューンになるというこのアルバム。そのヘビーユーズに耐えきれず、細かいキズがいくつかあり、いつしか音飛びがするようになった。
結局、同じCDをもう一枚買ったので、この「音とびバルビエ」ははっきりいって必要ない。それならば、練習台に使わせてもらおうではないか。
机の上に下敷きを置き、その上にバルビエを載せる。洗面所から持ってきた歯磨き粉を指に取り、キズの部分を中心に、CDに塗りたくる。
それを布で慎重に擦っていく。
五分ほどこするとキズはもう見えなくなった。ティッシュに水を含ませ、それを絞ってCDに水を垂らし、残った歯磨き粉をしっかりとふき取る。
さて、これで修復は一応完成なのだが、よく見るとさらに細かいキズが数え切れないほどできている。この程度の柔らかさの布では意味がなかったのか。諦め半分でプレイヤーにかけてみたところ…
復活!
十曲全部が完璧に演奏された。
歯磨き粉と布という組み合わせは、とりあえず音楽用CDでは有効なことが分かった。
では、ゲームDVDではどうだろうか?
昨日の日記に書いたキズのついたDVDを直すためである。
ネットで調べたところ、キズを消すためには研磨剤と柔らかい布が必要とのこと。
母親に「柔らかい布ない?」と訊いたところ、妹の古い肌着を出してきた。それを適度な大きなに刻んでいた、というのが冒頭の状況である。
こうして柔らかい布は手に入った。しかし、研磨剤はどうしようか。車のコンパウンドでもあれば最高なのだが、残念ながら家にはなかった。オートバックスまで行くのも面倒だ。
しかし、身近にあるもので代用できるのだよ。明智君。
歯磨き粉(デンターTbyライオン)
役者が揃ったところで、いよいよ作業に入ろうと思う。
まずは、練習の意味もかねて、キズがついて聴けなくなったCDを磨いてみよう。
磨くCDは「バルビエファースト」私が中学三年生のときに購入し、以来、毎年クリスマス前になると我が家のヘヴィーチューンになるというこのアルバム。そのヘビーユーズに耐えきれず、細かいキズがいくつかあり、いつしか音飛びがするようになった。
結局、同じCDをもう一枚買ったので、この「音とびバルビエ」ははっきりいって必要ない。それならば、練習台に使わせてもらおうではないか。
机の上に下敷きを置き、その上にバルビエを載せる。洗面所から持ってきた歯磨き粉を指に取り、キズの部分を中心に、CDに塗りたくる。
それを布で慎重に擦っていく。
五分ほどこするとキズはもう見えなくなった。ティッシュに水を含ませ、それを絞ってCDに水を垂らし、残った歯磨き粉をしっかりとふき取る。
さて、これで修復は一応完成なのだが、よく見るとさらに細かいキズが数え切れないほどできている。この程度の柔らかさの布では意味がなかったのか。諦め半分でプレイヤーにかけてみたところ…
復活!
十曲全部が完璧に演奏された。
歯磨き粉と布という組み合わせは、とりあえず音楽用CDでは有効なことが分かった。
では、ゲームDVDではどうだろうか?
悲しみの向こう側
2002年9月26日 いつもと変わらない午後。いつもと変わらない部屋。いつもと変わらない「実況パワフルプロ野球9」
私の操る阪神は、首位を独走している。四月が終わった時点で、二位の中日とは11ゲーム差。
その二位の中日との直接対決。
なんと、八回まで7対2でリードしていたのに、投手を変えた途端に八連打。7対10とゲームをひっくり返されてしまった。
カーブを投げてもダメ。スライダーもダメ。スローボールもストレートも全て見切られた。
そして九発目を受けたとき、私はムカついてプレステ2本体を蹴飛ばした。
縦置きの状態だったプレステ2はグラリと揺れるとそのままドスンと畳に倒れてしまった。
慌てた私はとりあえず電源を切り、再度点けてみた。
電源は点いた。
しかし、ソフトが起動しない。
DVDを取り出してみると、裏面に深くは無いが面積の広いキズができていた。
ああ、やっちまった。悪いのが完全に自分なだけに、どこに怒りをぶつけていいのか分からず、ただ呆然とDVDのキズを撫でていた。
自分の失敗は、自分で落とし前をつける。
クヨクヨしていても仕方が無い。私は次善の策を求めるため、インターネットに接続した。
私の操る阪神は、首位を独走している。四月が終わった時点で、二位の中日とは11ゲーム差。
その二位の中日との直接対決。
なんと、八回まで7対2でリードしていたのに、投手を変えた途端に八連打。7対10とゲームをひっくり返されてしまった。
カーブを投げてもダメ。スライダーもダメ。スローボールもストレートも全て見切られた。
そして九発目を受けたとき、私はムカついてプレステ2本体を蹴飛ばした。
縦置きの状態だったプレステ2はグラリと揺れるとそのままドスンと畳に倒れてしまった。
慌てた私はとりあえず電源を切り、再度点けてみた。
電源は点いた。
しかし、ソフトが起動しない。
DVDを取り出してみると、裏面に深くは無いが面積の広いキズができていた。
ああ、やっちまった。悪いのが完全に自分なだけに、どこに怒りをぶつけていいのか分からず、ただ呆然とDVDのキズを撫でていた。
自分の失敗は、自分で落とし前をつける。
クヨクヨしていても仕方が無い。私は次善の策を求めるため、インターネットに接続した。
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お前、彼女欲しいの?
2002年9月22日 三連休初日、午後三時。携帯にメールが来ていた。
いや、そりゃあ皆さんにとってはメールが来るというのは「ごく普通の出来事」かもしれないが、私にとっては「えらく珍しい出来事」である。確率としては、「公園からたまたま投げた石がミラクルなバウンドを見せてBMWのボンネットに拳骨をかます」ぐらいの勢いである。しかし、小学二年生に向かって、それで10万円請求とは、大人気ないおっさんだった。路駐のくせに。
メールは中学の時の女友達からだった。「女の子紹介したるから、奈良まで来い」
行くに決まってるじゃないっすか。
というわけで、わざわざ風呂に入り、巷で一番人気の汗の消臭スプレー「Ag+」をつけ、一張羅を着こみ私は戦場に繰り出した。
午後7時、近鉄奈良駅の「行基像」前で待ち合わせ。この像、噴水の中央に立っていて、噴水は放水と止水を繰り返しているものなのだが、隣に座っていた人待ち顔の女性が放水の度に「ビクッ」と驚いていたのに、笑いをこらえているとようやく到着。
来た女の子は「まあまあ好み」のタイプであった。
紹介してくれた女の子はしきりに「いっとけいっとけ」というメールを寄越すのだが、なんとなくそこで少し臆病になってしまい、結局番号を聞いただけで分かれてしまった。
最近の人間関係は一期一会になっているような気がする。色んな意味で。
いや、そりゃあ皆さんにとってはメールが来るというのは「ごく普通の出来事」かもしれないが、私にとっては「えらく珍しい出来事」である。確率としては、「公園からたまたま投げた石がミラクルなバウンドを見せてBMWのボンネットに拳骨をかます」ぐらいの勢いである。しかし、小学二年生に向かって、それで10万円請求とは、大人気ないおっさんだった。路駐のくせに。
メールは中学の時の女友達からだった。「女の子紹介したるから、奈良まで来い」
行くに決まってるじゃないっすか。
というわけで、わざわざ風呂に入り、巷で一番人気の汗の消臭スプレー「Ag+」をつけ、一張羅を着こみ私は戦場に繰り出した。
午後7時、近鉄奈良駅の「行基像」前で待ち合わせ。この像、噴水の中央に立っていて、噴水は放水と止水を繰り返しているものなのだが、隣に座っていた人待ち顔の女性が放水の度に「ビクッ」と驚いていたのに、笑いをこらえているとようやく到着。
来た女の子は「まあまあ好み」のタイプであった。
紹介してくれた女の子はしきりに「いっとけいっとけ」というメールを寄越すのだが、なんとなくそこで少し臆病になってしまい、結局番号を聞いただけで分かれてしまった。
最近の人間関係は一期一会になっているような気がする。色んな意味で。
私のギター人生O.P.3
2002年9月17日 高校生になった。
中学卒業と同時に買ったエレキギター、パシフィカ312-H。彼が私の高校時代の相棒となる。
マルチエフェクターを買ったり、少しずつ色気を出し始めた私は、高校二年の文化祭で、二度目のステージに立つことになる。
バンド名は「criminal law」なんだか微妙にかっこよさげで実はダサダサなこのバンド名は私が考えた。クリミナル・ロウ。なんだかかっこいいじゃないか、と思ったものだ。
さて、このクリミナル・ロウ。実はステージに立つ前に解散したも同然だった。キーボードが諸事情で抜け、ボーカルは後片付けもせず、時間に遅れ、タバコをもくもくさせているやつだったので、私は彼の横っ面を思いきりぶん殴った。
そういうわけで、演奏前に空中分解したこのバンド。どうも私はバンドというものに縁がないようだ。以後、バンドを組んだことはない。
本当のギター小僧(死語)ならば、ここで「母ちゃん、俺プロになるから。大学行かねえから。東京に行くんだ」とか言ってそのまま家族からフェードアウトしちまうもんなんだが、私はそんなことはなかった。三年生になってからは、ずっと勉強の毎日。そのおかげか、大学は第一志望に合格することができた。
大学に入り、入学祝と貯金をはたいて10万ほどのアコースティックギターを買った。ラリヴィーというメーカーのもので、今でもなかなかの音がする。しかし、私はもう一本エレキが欲しかった。アルバイトをするようになって、そこそこお金が溜まってくると、「20万円以上のギター」に目が向くようになってきた。
最初は憧れのフェンダーにしようと思っていた。しかし、楽器屋で弾いたところ、思ったほどいいものでもない。ネックグリップに関しては、パシフィカの方がよかったぐらいだ。五本ほど弾いて、結局止めた。レスポールも弾いてみた。スケールの違いと、やたらに重いボディ。これも合わなかった。
ぶらぶらと探しているときに見つけたのが、suhrというメーカーのギター。形はストラトキャスターと同じ(というか、suhrという人は、元フェンダーカスタムショップのマスタービルダー)で、ネックグリップが最高にいい。これに決めた!198000円。
帰宅してネットで定価を調べてみると、498000円だったりして汗をかいたが。
ともかく、この3日間を通して言いたかったことは一つ。
このsuhrの自慢をしたかったのだよ。
中学卒業と同時に買ったエレキギター、パシフィカ312-H。彼が私の高校時代の相棒となる。
マルチエフェクターを買ったり、少しずつ色気を出し始めた私は、高校二年の文化祭で、二度目のステージに立つことになる。
バンド名は「criminal law」なんだか微妙にかっこよさげで実はダサダサなこのバンド名は私が考えた。クリミナル・ロウ。なんだかかっこいいじゃないか、と思ったものだ。
さて、このクリミナル・ロウ。実はステージに立つ前に解散したも同然だった。キーボードが諸事情で抜け、ボーカルは後片付けもせず、時間に遅れ、タバコをもくもくさせているやつだったので、私は彼の横っ面を思いきりぶん殴った。
そういうわけで、演奏前に空中分解したこのバンド。どうも私はバンドというものに縁がないようだ。以後、バンドを組んだことはない。
本当のギター小僧(死語)ならば、ここで「母ちゃん、俺プロになるから。大学行かねえから。東京に行くんだ」とか言ってそのまま家族からフェードアウトしちまうもんなんだが、私はそんなことはなかった。三年生になってからは、ずっと勉強の毎日。そのおかげか、大学は第一志望に合格することができた。
大学に入り、入学祝と貯金をはたいて10万ほどのアコースティックギターを買った。ラリヴィーというメーカーのもので、今でもなかなかの音がする。しかし、私はもう一本エレキが欲しかった。アルバイトをするようになって、そこそこお金が溜まってくると、「20万円以上のギター」に目が向くようになってきた。
最初は憧れのフェンダーにしようと思っていた。しかし、楽器屋で弾いたところ、思ったほどいいものでもない。ネックグリップに関しては、パシフィカの方がよかったぐらいだ。五本ほど弾いて、結局止めた。レスポールも弾いてみた。スケールの違いと、やたらに重いボディ。これも合わなかった。
ぶらぶらと探しているときに見つけたのが、suhrというメーカーのギター。形はストラトキャスターと同じ(というか、suhrという人は、元フェンダーカスタムショップのマスタービルダー)で、ネックグリップが最高にいい。これに決めた!198000円。
帰宅してネットで定価を調べてみると、498000円だったりして汗をかいたが。
ともかく、この3日間を通して言いたかったことは一つ。
このsuhrの自慢をしたかったのだよ。
私のギター人生O.P.2
2002年9月16日 さて、そんな割と恵まれた環境の中始まった私のギターライフ。まずはコードの練習から。E、Am、Cと問題なくクリアし、GとFでやや戸惑うも、それほどの苦労もなくたいていのコードが押さえられるようになり、弾き語りができるようになった。
中学三年の秋、私は文化祭でバンドを組み、演奏することになった。
今思うと、ひどく拙い腕で、とりあえず音を鳴らせば良い、という感じであった。メンバーに借りたエレキを使ったのだが、チューニングが合っていたのかどうかさえ、微妙なところである。体育館で演奏したために、PAシステムがない。よってアンプからの出力がそのまま客席のものになるわけだが、15W程度のミニアンプで大きな音が出せるはずもなく、私の音は全く聞こえなかったそうな。
PAシステムとは、音のバランスを取ってスピーカーから出力するシステムのことで、ホールの響きや、集客具合、マイクの集音方法や、プレイヤーへのモニターの返しなど、やることが非常に多い上に高度である。中学生の私は、ライブにそんなシステムが必要であることも全く知らず、ただ、自己満足の毎日であった。
この頃、学校では「チョーキング」(押弦したまま弦を上下にすることで、音程を上げるテクニック)ができれば「英雄」であった。私は、そのチョーキングに加え、スピッツの「ロビンソン」のイントロ部分をアルペジオで弾く、ということ、福山雅治の「HELLO」のイントロを弾ける、ということで、友人の間では「校内で1、2を争うギタリスト」であった。今考えれば、1つ下の学年の連中の方がよほど上手かったのだが、まあ、そういう「不作」な年もあるみたいだ。
そんな「井の中の蛙」は思った。「クラシックギターじゃなくて、俺はエレキギターが弾きたい」
今でも好きだが、中学生の私が一番好きだったアーティストは「FIELD OF VIEW」だ(the FIELD OF VIEWに改名後、解散)そして、彼らの1stアルバムのブックレットの写真に載っていた「FENDER」というメーカーのギターに憧れることとなった。3トーンサンバーストでローズネックのストラトキャスターをカタログをひっくり返して探す。あった。65000円。買えるかぁ!ということで、仕方なしにフェンダーは諦めることとなる。
結局、高校入学と同時に買ったのがヤマハのパシフィカである。定価40000円のモデル。買った当時はもうその重さとネックの細さ(クラシックから乗り換えたから)、それから弾きやすさに涙を流して喜んだものだ。
そして、激動の高校時代へ続く。(いつまでやるねん)
中学三年の秋、私は文化祭でバンドを組み、演奏することになった。
今思うと、ひどく拙い腕で、とりあえず音を鳴らせば良い、という感じであった。メンバーに借りたエレキを使ったのだが、チューニングが合っていたのかどうかさえ、微妙なところである。体育館で演奏したために、PAシステムがない。よってアンプからの出力がそのまま客席のものになるわけだが、15W程度のミニアンプで大きな音が出せるはずもなく、私の音は全く聞こえなかったそうな。
PAシステムとは、音のバランスを取ってスピーカーから出力するシステムのことで、ホールの響きや、集客具合、マイクの集音方法や、プレイヤーへのモニターの返しなど、やることが非常に多い上に高度である。中学生の私は、ライブにそんなシステムが必要であることも全く知らず、ただ、自己満足の毎日であった。
この頃、学校では「チョーキング」(押弦したまま弦を上下にすることで、音程を上げるテクニック)ができれば「英雄」であった。私は、そのチョーキングに加え、スピッツの「ロビンソン」のイントロ部分をアルペジオで弾く、ということ、福山雅治の「HELLO」のイントロを弾ける、ということで、友人の間では「校内で1、2を争うギタリスト」であった。今考えれば、1つ下の学年の連中の方がよほど上手かったのだが、まあ、そういう「不作」な年もあるみたいだ。
そんな「井の中の蛙」は思った。「クラシックギターじゃなくて、俺はエレキギターが弾きたい」
今でも好きだが、中学生の私が一番好きだったアーティストは「FIELD OF VIEW」だ(the FIELD OF VIEWに改名後、解散)そして、彼らの1stアルバムのブックレットの写真に載っていた「FENDER」というメーカーのギターに憧れることとなった。3トーンサンバーストでローズネックのストラトキャスターをカタログをひっくり返して探す。あった。65000円。買えるかぁ!ということで、仕方なしにフェンダーは諦めることとなる。
結局、高校入学と同時に買ったのがヤマハのパシフィカである。定価40000円のモデル。買った当時はもうその重さとネックの細さ(クラシックから乗り換えたから)、それから弾きやすさに涙を流して喜んだものだ。
そして、激動の高校時代へ続く。(いつまでやるねん)
私のギター人生O.P.1
2002年9月15日 久々に、ギターを弾いた。
ここ半年間、全く弾いていなかったわけではない。というか、ほぼ毎日のように触っていた。しかし、それは「ただなんとなく」であり、そこに情熱などは存在しなかった。
私は中学二年生のとき、サッカー部に所属していた。1995年、八月八日、私は練習中に、右足親指の骨にヒビが入る、という事故に遭った。普通に足をぶつけただけなら、ジインとした痛みもすぐにひくのだが、このときばかりはいつまで経っても痛みがひかず、翌日、病院でレントゲンを撮ってみたところ、ヒビが見つかり、利き足が右の私は、当然ながらサッカーはできなくなってしまった。
思えば、1995年という年は、丁度Jリーグが開幕した年であり、サッカー人気は空前であった。私も「ただなんとなく人気に乗って」サッカー部に入ったのだが、先生やチームメイトとの相性が合わず、「楽しいサッカー」はしていなかった。と、いうか、本当に流れに任せて入部しただけで、それほど興味がなかった、というのが本音である。
ともかく、「さあ、長い夏休み、どうやって過ごそうか」と考えていたときに、ふと部屋の隅を見るとボロボロのクラシックギターが置いてあった。白いはずの弦がサビで真っ黒になり、ペグは錆びて固くなり、まともに弦を巻くこともできず、ネックの反り具合も、12フレットで弦との距離が1cm以上空いている、というとんでもないギターだったのだが、私はこの楽器に興味を持った。
そのギターは母親のもので、曰く「学生時代に使っていた」ものだそうだ。高校時代にクラシックギター部の副部長を務めていた母のおかげで、「ギターを弾くのに何が必要か」ということで困ることはなかった。父もギターをやっていたので、弦やコードブックは買ってきてもらった。
そういう恵まれた環境の中、私のギター人生は始まった。(以下次号)
ここ半年間、全く弾いていなかったわけではない。というか、ほぼ毎日のように触っていた。しかし、それは「ただなんとなく」であり、そこに情熱などは存在しなかった。
私は中学二年生のとき、サッカー部に所属していた。1995年、八月八日、私は練習中に、右足親指の骨にヒビが入る、という事故に遭った。普通に足をぶつけただけなら、ジインとした痛みもすぐにひくのだが、このときばかりはいつまで経っても痛みがひかず、翌日、病院でレントゲンを撮ってみたところ、ヒビが見つかり、利き足が右の私は、当然ながらサッカーはできなくなってしまった。
思えば、1995年という年は、丁度Jリーグが開幕した年であり、サッカー人気は空前であった。私も「ただなんとなく人気に乗って」サッカー部に入ったのだが、先生やチームメイトとの相性が合わず、「楽しいサッカー」はしていなかった。と、いうか、本当に流れに任せて入部しただけで、それほど興味がなかった、というのが本音である。
ともかく、「さあ、長い夏休み、どうやって過ごそうか」と考えていたときに、ふと部屋の隅を見るとボロボロのクラシックギターが置いてあった。白いはずの弦がサビで真っ黒になり、ペグは錆びて固くなり、まともに弦を巻くこともできず、ネックの反り具合も、12フレットで弦との距離が1cm以上空いている、というとんでもないギターだったのだが、私はこの楽器に興味を持った。
そのギターは母親のもので、曰く「学生時代に使っていた」ものだそうだ。高校時代にクラシックギター部の副部長を務めていた母のおかげで、「ギターを弾くのに何が必要か」ということで困ることはなかった。父もギターをやっていたので、弦やコードブックは買ってきてもらった。
そういう恵まれた環境の中、私のギター人生は始まった。(以下次号)
無罪モラトリアム?
2002年9月12日 ようやく大学の試験が全て終了し、平穏な日々に戻った。これで普通に寝れる日が来る。夏休み、毎日八時間は寝ていた私にとって、その半分以下の睡眠時間で活動するテスト期間中はかなり辛いものがあった。
そんなわけで試験が(色んな意味で)終わったので、これから十月までは秋休みになる。それまでの間、私はどう過ごすべきであろう。
またアルコール中毒で意識なくして卒倒するのか。
高校時代のように、ギターを弾きつづけるのか。
あるいは、何らかの資格試験に向けて勉強をするのか。
ダラダラとした生活はおくりたくない。この二週間を有意義に過ごしたい。
そんな自己開発に燃える私の前に立ちはだかる黒い壁。
就職活動。
全く何もしていない。そろそろ情報収集やら、あるいは自己分析を始めなければいけない時期だろう。
大きな不安がある。テスト程度の不安ではない。果たして、自分の好きなこと、将来通じてやりたいことは何なのか、答えは出るのだろうか。
そして、人に必要とされない私を必要としてくれる企業は存在するのだろうか。
モラトリアムはもう尽きようとしているのだ。
そんなわけで試験が(色んな意味で)終わったので、これから十月までは秋休みになる。それまでの間、私はどう過ごすべきであろう。
またアルコール中毒で意識なくして卒倒するのか。
高校時代のように、ギターを弾きつづけるのか。
あるいは、何らかの資格試験に向けて勉強をするのか。
ダラダラとした生活はおくりたくない。この二週間を有意義に過ごしたい。
そんな自己開発に燃える私の前に立ちはだかる黒い壁。
就職活動。
全く何もしていない。そろそろ情報収集やら、あるいは自己分析を始めなければいけない時期だろう。
大きな不安がある。テスト程度の不安ではない。果たして、自分の好きなこと、将来通じてやりたいことは何なのか、答えは出るのだろうか。
そして、人に必要とされない私を必要としてくれる企業は存在するのだろうか。
モラトリアムはもう尽きようとしているのだ。
大学の試験
2002年9月10日 経営史。
あぼーん。
いやね、覚えてないことが出たんだから仕方がない。問題見た瞬間真っ白け。さあ、30分どうやって暇潰そうかな、と思っていると
カリカリカリカリ
周りの人間書きまくり。
このとき、「やっぱウチの大学の連中って相当頭いいのだな」と感じてしまった。
しかし、私は思う。この情報化社会において、暗記に何の意味があるのかと。
すぐに検索ができる環境が整っている。そこで、覚えておく必要はあるのか!?
負け惜しみ(泣)
あぼーん。
いやね、覚えてないことが出たんだから仕方がない。問題見た瞬間真っ白け。さあ、30分どうやって暇潰そうかな、と思っていると
カリカリカリカリ
周りの人間書きまくり。
このとき、「やっぱウチの大学の連中って相当頭いいのだな」と感じてしまった。
しかし、私は思う。この情報化社会において、暗記に何の意味があるのかと。
すぐに検索ができる環境が整っている。そこで、覚えておく必要はあるのか!?
負け惜しみ(泣)
伝える意思
2002年9月8日 昨夜、ある小説投稿サイトで討論をした。
お題は「作家が文法を気にする必要はあるか」
討論であり、ディベートではないので、各々が自分の意見を持って話し合う。私の意見は「文法は気にすべきだし、人の作品で間違っている部分を見つけたら指摘すべきだ」であった。
ところが、私にとっては驚きだったのだが、大半の作家志望者が「文法なんてどうでもいい。要は内容が面白いか」という意見を持っている。
私は思う。どれだけ面白い内容の作品であったとしても、文法的におかしな部分が多々あれば、解釈がズレてくる。さらに、読んでいる最中に引っ掛かりを感じ、文を読むのが止まってしまう。
反論。
「勢いのある作品ならそんなことはない」
「赤ちゃんにちゃんと言葉を喋れ、と言っても無駄なこと」
「助詞がおかしいとか、そういう部分は、本にする場合、編集者が注意すべき点で、作家は気にすべきではない。作品世界の完成に勤しむべきだ」
まさか、ネット作家というものが、これだけおめでたい人種だとは思わなかった。「自分が面白いと思う作品を書いている。自分が面白ければ、文法がズレていても構わない」
自分が面白いと感じる文章を書く、というのは当たり前のことで、そんなところで胸を張られても困る。彼らに欠如しているのは「読んだ人がどう感じるか」について、考えること。
多くのネット作家はこう言う。「自分が書いて満足できたものを他人が評価しようが、批評しようが、気にしない」
もしも、プロの作家もこういう精神でモノを書いているのであれば、私は絶対に作家の友達はいらない。「伝えようとする精神」がないのだ。
「自分の書いた作品は物語に気合入れてます」という連中は、文法を気にしない。「文法(文体)にエネルギー使わずに、物語にエネルギー使うから」
物語にエネルギーを使うのは、誰でも同じではないだろうか。人と同じ次元のことをしていて、それを誇るのは間違えている。それ以上の段階、つまり、自分の書いた文章がきちんと伝わるか。この表現で、他人にこういう思いをしてもらいたい。そういう部分にまで目がいっていないのだ。
途中で私はチャットから落ちた。いい歳して、大人になりきれていない連中ばかりだった。やたらに難しい言葉(なんかフロイトとか、そういう「読んでたら頭いいでしょ?」系の用語を使いたがる)を使って私を攻め、自分の優位性を確認せずにはいられない、そういう人が「作家志望者」である。
モノカキやってると家にこもりがちで、やはり内に閉じこもる性格になってしまうのだろう。貴重なサーバー資源を使って、そのオタク精神を発揮しないで頂きたい。
これは、私自身への警句でもある。
追記
「物語重視」の人の作品を読んだ。
なんだ、文法的に破綻はないじゃないか。その割りに、面白いか? となると「う〜ん」であったが……
お題は「作家が文法を気にする必要はあるか」
討論であり、ディベートではないので、各々が自分の意見を持って話し合う。私の意見は「文法は気にすべきだし、人の作品で間違っている部分を見つけたら指摘すべきだ」であった。
ところが、私にとっては驚きだったのだが、大半の作家志望者が「文法なんてどうでもいい。要は内容が面白いか」という意見を持っている。
私は思う。どれだけ面白い内容の作品であったとしても、文法的におかしな部分が多々あれば、解釈がズレてくる。さらに、読んでいる最中に引っ掛かりを感じ、文を読むのが止まってしまう。
反論。
「勢いのある作品ならそんなことはない」
「赤ちゃんにちゃんと言葉を喋れ、と言っても無駄なこと」
「助詞がおかしいとか、そういう部分は、本にする場合、編集者が注意すべき点で、作家は気にすべきではない。作品世界の完成に勤しむべきだ」
まさか、ネット作家というものが、これだけおめでたい人種だとは思わなかった。「自分が面白いと思う作品を書いている。自分が面白ければ、文法がズレていても構わない」
自分が面白いと感じる文章を書く、というのは当たり前のことで、そんなところで胸を張られても困る。彼らに欠如しているのは「読んだ人がどう感じるか」について、考えること。
多くのネット作家はこう言う。「自分が書いて満足できたものを他人が評価しようが、批評しようが、気にしない」
もしも、プロの作家もこういう精神でモノを書いているのであれば、私は絶対に作家の友達はいらない。「伝えようとする精神」がないのだ。
「自分の書いた作品は物語に気合入れてます」という連中は、文法を気にしない。「文法(文体)にエネルギー使わずに、物語にエネルギー使うから」
物語にエネルギーを使うのは、誰でも同じではないだろうか。人と同じ次元のことをしていて、それを誇るのは間違えている。それ以上の段階、つまり、自分の書いた文章がきちんと伝わるか。この表現で、他人にこういう思いをしてもらいたい。そういう部分にまで目がいっていないのだ。
途中で私はチャットから落ちた。いい歳して、大人になりきれていない連中ばかりだった。やたらに難しい言葉(なんかフロイトとか、そういう「読んでたら頭いいでしょ?」系の用語を使いたがる)を使って私を攻め、自分の優位性を確認せずにはいられない、そういう人が「作家志望者」である。
モノカキやってると家にこもりがちで、やはり内に閉じこもる性格になってしまうのだろう。貴重なサーバー資源を使って、そのオタク精神を発揮しないで頂きたい。
これは、私自身への警句でもある。
追記
「物語重視」の人の作品を読んだ。
なんだ、文法的に破綻はないじゃないか。その割りに、面白いか? となると「う〜ん」であったが……
アニマ
2002年9月6日 久々に大学に行った。約二ヶ月振り。梅田の駅は何も変わったところはなく、ただ、店の服が秋物になっていたぐらいだった。
それで、朝の電車で中学時代からの女友達に会った。中学時代と言っても、実は中学の頃は一言も話したことがなかった。大学に行くようになり、乗る電車が同じになって、それから話すようになった。
それがきっかけで・・・とか、そういう話になるのが普通だと思うのだが、残念ながら、双方にその気は全くない(いや、彼女がどう思ってるのかは知らんが)彼女とのメールの内容は、やたらにざっくばらんで、言葉を選ぶことがない。
しかし、これが何気に心地よかったりする。
私には女友達がほとんどいない。全て地元の人たちで、大学の女の子に知り合いはいても、友達はいない。知り合いか友達か。この線引きは複雑なように見えて意外と簡単である。その人と一緒にいて楽しいか、そうでないか。これが私の知り合いと友達の区別の方法である。大学の女の子たちは、「プリントコピーさせて」「ノート写させて」「出席取った?」これぐらいの会話しかしてこない。自然、私もそういう返ししかしない。
そういうこともあり、私は女性というものに大きな不信感を抱いている。しかし、今朝会った彼女には、そういうものは感じない。
少ないけれども、「バカじゃねーの」と突っ込める異性の友達がいることは幸せだと思った。そういう「気安い女友達」がいなければ、私の中の女性像はひどく凝り固まったものになってしまっただろうからだ。
女だから・・・彼女はそういう先入観を取り払ってくれる貴重な女性(彼氏いない暦21年)だ。
それで、朝の電車で中学時代からの女友達に会った。中学時代と言っても、実は中学の頃は一言も話したことがなかった。大学に行くようになり、乗る電車が同じになって、それから話すようになった。
それがきっかけで・・・とか、そういう話になるのが普通だと思うのだが、残念ながら、双方にその気は全くない(いや、彼女がどう思ってるのかは知らんが)彼女とのメールの内容は、やたらにざっくばらんで、言葉を選ぶことがない。
しかし、これが何気に心地よかったりする。
私には女友達がほとんどいない。全て地元の人たちで、大学の女の子に知り合いはいても、友達はいない。知り合いか友達か。この線引きは複雑なように見えて意外と簡単である。その人と一緒にいて楽しいか、そうでないか。これが私の知り合いと友達の区別の方法である。大学の女の子たちは、「プリントコピーさせて」「ノート写させて」「出席取った?」これぐらいの会話しかしてこない。自然、私もそういう返ししかしない。
そういうこともあり、私は女性というものに大きな不信感を抱いている。しかし、今朝会った彼女には、そういうものは感じない。
少ないけれども、「バカじゃねーの」と突っ込める異性の友達がいることは幸せだと思った。そういう「気安い女友達」がいなければ、私の中の女性像はひどく凝り固まったものになってしまっただろうからだ。
女だから・・・彼女はそういう先入観を取り払ってくれる貴重な女性(彼氏いない暦21年)だ。
情報と甘えとこれからの私
2002年9月4日 昨夜は半年振りに日付が変わる前に床に入った。そのおかげで、今朝は八時半に起きることができ、ゆっくりと朝食を採ることができた。
朝食を採りながら、「とくダネ」というテレビ番組を見ていたのだが、「世の中、これで大丈夫なのか?」と思うような事が盛りだくさんであった。
殺人事件
事故
冤罪
北朝鮮問題
株価
CD売上
かと思えば、同じ番組内で「ベッカムJr.」の話題になっていたりする。
一体、自分にとってどの情報が大事なのか、これだけ情報が溢れていると、その取捨選択が問題になってくると思う。
芸能の話題が好きなら、ベッカム・藤原紀香・ビートたけし(全て今日のニュースから)の情報に食指を動かせばいいだろうし、日本の将来を憂いたいのなら、殺人事件なり事故なり株価なり、あるいは北朝鮮問題の情報を取ればいい。
しかし、私は情報の取捨選択は全ての始まりにすぎないと思う。
このニュースを見た。ある本を買った。それが始まりで、最終的にその情報を経験したことによって「自分がどうなれるか・どう行動するか」が問題であると思う。
話のレベルは全然違うが、例えば、好きな子が、自分のことが好きだという情報を得たとしよう。その情報を得た場合「ふーん、あっそ」で終わるわけもなく、当然何らかの行動に出るはずである。
話は変わるように思われるかもしれないが、つい先日気付いたことだが、日本人はテレビの中のものについて、「これ」という指示語を使う傾向がある。ドラマを見ていて、自宅にあるのと同じ茶碗が映ったとしよう。そのときに発せられる言葉は「あっ、『この』茶碗ウチのと同じだ」ではないかと思う。フェアレディZのCMを見たならば「『これ』いいなぁ」ではないだろうか。反論のある方もいらっしゃるかとは思うが、テレビの中のものについては「これ」が一般的ではないかと思われる。
このことは「テレビによる情報が、リアルでインパクトのある」ものであり、そのため私たちは近接指示語である「これ」を使っているからだと思われる。
しかし何故「この事件」「この株価」についてもっと身近に感じられないのだろう。「ふーん、あっそ」で終わってしまい、これからの自分の行動に反映させることが困難であるのだろう。
それは、私たちの意識の根本に「甘え」があるからだと私は考える。「ゆとり教育」などはその「甘え」を具現化させたもので、「ガツガツと勉強(情報取得)せずに、のんびり過ごせ」というのだから、これは「甘え」「甘やかし」以外の何物でもないと思う。
しかし、その「ゆとり教育」も様々な場面で批判されている。「甘え」の具現形たるものが批判されている中、私たちは自分の中にある「甘え」も批判することができるだろうか。「甘え」を捨て、これからの自分を考えることができるようになるだろうか。
朝食を採りながら、「とくダネ」というテレビ番組を見ていたのだが、「世の中、これで大丈夫なのか?」と思うような事が盛りだくさんであった。
殺人事件
事故
冤罪
北朝鮮問題
株価
CD売上
かと思えば、同じ番組内で「ベッカムJr.」の話題になっていたりする。
一体、自分にとってどの情報が大事なのか、これだけ情報が溢れていると、その取捨選択が問題になってくると思う。
芸能の話題が好きなら、ベッカム・藤原紀香・ビートたけし(全て今日のニュースから)の情報に食指を動かせばいいだろうし、日本の将来を憂いたいのなら、殺人事件なり事故なり株価なり、あるいは北朝鮮問題の情報を取ればいい。
しかし、私は情報の取捨選択は全ての始まりにすぎないと思う。
このニュースを見た。ある本を買った。それが始まりで、最終的にその情報を経験したことによって「自分がどうなれるか・どう行動するか」が問題であると思う。
話のレベルは全然違うが、例えば、好きな子が、自分のことが好きだという情報を得たとしよう。その情報を得た場合「ふーん、あっそ」で終わるわけもなく、当然何らかの行動に出るはずである。
話は変わるように思われるかもしれないが、つい先日気付いたことだが、日本人はテレビの中のものについて、「これ」という指示語を使う傾向がある。ドラマを見ていて、自宅にあるのと同じ茶碗が映ったとしよう。そのときに発せられる言葉は「あっ、『この』茶碗ウチのと同じだ」ではないかと思う。フェアレディZのCMを見たならば「『これ』いいなぁ」ではないだろうか。反論のある方もいらっしゃるかとは思うが、テレビの中のものについては「これ」が一般的ではないかと思われる。
このことは「テレビによる情報が、リアルでインパクトのある」ものであり、そのため私たちは近接指示語である「これ」を使っているからだと思われる。
しかし何故「この事件」「この株価」についてもっと身近に感じられないのだろう。「ふーん、あっそ」で終わってしまい、これからの自分の行動に反映させることが困難であるのだろう。
それは、私たちの意識の根本に「甘え」があるからだと私は考える。「ゆとり教育」などはその「甘え」を具現化させたもので、「ガツガツと勉強(情報取得)せずに、のんびり過ごせ」というのだから、これは「甘え」「甘やかし」以外の何物でもないと思う。
しかし、その「ゆとり教育」も様々な場面で批判されている。「甘え」の具現形たるものが批判されている中、私たちは自分の中にある「甘え」も批判することができるだろうか。「甘え」を捨て、これからの自分を考えることができるようになるだろうか。
私の嫌いな人たちO.P.1
2002年9月2日 私は口笛を吹く人が嫌いだ。
もしかすると本人はものすごくいい気分でやっていることなのかもしれないが、うるさいだけで、正直迷惑だ。
何故嫌いなのかというと、まず、「口笛を吹く」という行為自体がパブリックなことでないということ。公共の場には、自分だけでなく他人も存在する。そんな中で大きな音を立てる、というのは常識がない行為である。よって、「口笛を吹く」人間は、多少常識外れなところがあると言える。
さらに、口笛が「音楽的」でないということ。口笛というのは、非常に音程の取りにくい楽器であり(多少外れた感じが味になってたりするのだが)決して人に聞かせるものではないということ。
私のバイト先には口笛吹きが多い。一人が吹き始めると、みんなが一斉に吹き始める。それはB’zだったり、Mr.childrenであったりするのだが、それがエスカレートするとどうなるのか。
熱唱し始める。
「Oh! MY裸足の女神よぉ〜♪」
もうブチ切れですよ。
五月蝿いし。
完璧自分の世界に入ってるし。
なにより古いし。
もしかすると本人はものすごくいい気分でやっていることなのかもしれないが、うるさいだけで、正直迷惑だ。
何故嫌いなのかというと、まず、「口笛を吹く」という行為自体がパブリックなことでないということ。公共の場には、自分だけでなく他人も存在する。そんな中で大きな音を立てる、というのは常識がない行為である。よって、「口笛を吹く」人間は、多少常識外れなところがあると言える。
さらに、口笛が「音楽的」でないということ。口笛というのは、非常に音程の取りにくい楽器であり(多少外れた感じが味になってたりするのだが)決して人に聞かせるものではないということ。
私のバイト先には口笛吹きが多い。一人が吹き始めると、みんなが一斉に吹き始める。それはB’zだったり、Mr.childrenであったりするのだが、それがエスカレートするとどうなるのか。
熱唱し始める。
「Oh! MY裸足の女神よぉ〜♪」
もうブチ切れですよ。
五月蝿いし。
完璧自分の世界に入ってるし。
なにより古いし。
秋の気配
2002年9月1日 ……喉が痛い。軽い頭痛がする。胸が気持ち悪い。唇が乾燥している。体がだるい。集中力がない(これは元から)
夏季講習の疲れが出たのか、クーラーからの風を全身に浴びつつ、うたた寝をしたのがマズかったのか。理由ははっきりしないが、とにかく風邪をひいた。
私を知っている人なら意外に思うかもしれないが、私は実は「弱い子」なのだ。ここぞというときに風邪をひく、熱を出す、下痢に悩む。
幼稚園の卒園式、風邪で欠席。
団地から今の一軒家に引っ越すとき、熱発で文字通り引越しのお荷物になる。
センター試験の前日から気分が悪くなり、当日は頭がぐらんぐらんとし、鼻水が止まらない状態で試験を受ける。二日間、ずっとその調子。
大学の試験期間中に熱発。経営システムと金融の試験をまた頭ぐらんぐらんで受ける。帰宅して熱を測ったら39度を超えていてちょっとびっくり。
生徒の受験の追い込みの時期になって、下痢が止まらず塾を休む。二回分も。ひどい迷惑だ。
情けない。本当に「ここぞ」という時に弱い。実は、今回の風邪も「ここぞ」の時なのである。
明日、九月二日は塾のクラス分けテスト。
さらに、来週には大学の試験も始まる。
……秋だなぁ(天を仰いで涙を隠す)
夏季講習の疲れが出たのか、クーラーからの風を全身に浴びつつ、うたた寝をしたのがマズかったのか。理由ははっきりしないが、とにかく風邪をひいた。
私を知っている人なら意外に思うかもしれないが、私は実は「弱い子」なのだ。ここぞというときに風邪をひく、熱を出す、下痢に悩む。
幼稚園の卒園式、風邪で欠席。
団地から今の一軒家に引っ越すとき、熱発で文字通り引越しのお荷物になる。
センター試験の前日から気分が悪くなり、当日は頭がぐらんぐらんとし、鼻水が止まらない状態で試験を受ける。二日間、ずっとその調子。
大学の試験期間中に熱発。経営システムと金融の試験をまた頭ぐらんぐらんで受ける。帰宅して熱を測ったら39度を超えていてちょっとびっくり。
生徒の受験の追い込みの時期になって、下痢が止まらず塾を休む。二回分も。ひどい迷惑だ。
情けない。本当に「ここぞ」という時に弱い。実は、今回の風邪も「ここぞ」の時なのである。
明日、九月二日は塾のクラス分けテスト。
さらに、来週には大学の試験も始まる。
……秋だなぁ(天を仰いで涙を隠す)
「優しい」
2002年8月31日 「優しい人」の正体を考えてみる。
まず、「優しい人」とはどういう人のことを指すのだろう。大辞林によると、「優しい」とは
(1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。
(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。
(3)上品で美しい。優美だ。
ということを指す形容詞であるらしい。私たちが一般的に使う「優しい」という言葉は(2)が一番適当であると思われる。
ということは、「優しい人」というのは「思いやりが合って親切で、心が温かい人」ということになる。
しかし、古語辞書を紐解いてみると、そこには「優しい」という言葉は、動詞「やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義だという記述があった。
当たり前だが、古語というのは現代語の基礎となっている言葉である。古語では「身も痩せる思いがして辛い」という意味であった「やすし」が「心の温かい人」という意味に変わるまでにどのような背景があったのだろう。「身が痩せる思いがするほど献身的な行為を行う人は、心が温かい人だ。自分が辛い思いをしてでも、それを押し隠して親切に振るまい、思いやりのある行動をする」こんなところだろうか。
私は国語学などには疎いので、詳しいことは分からないので、これは全くの推測である。
私の説はどうでもいいとして、「優しい」という意味の根っこに「身が痩せる思いがして、辛い」という意味があるのは確実だ。しかし、「優しい人」は本当にそんなに辛い思いをしているだろうか。
していないだろう。「優しい人」は献身的に他人に接することで、心理的報酬を得ている。むしろ本当の「優しい人」というものは、親切をしているときには喜びを感じるものではないだろうか。
そうなると、この「優しい」という言葉は第三者の視点に立った言葉であると言える。ボランティアな活動も、他人から見れば、辛い行動のように見えることもあるだろう。それゆえ「辛いことをしている人=優しい人」と、他人が勝手に判断を下してしまうのだ。
つまり、自分の事を「優しい」と形容する人間は間違っている。「優しい」というのは、第三者が使うべき言葉であり、自分のことを指す場合には、「辛い思いをしている」という意味になってしまう。
私が塾に来たときに書いた「自己性格シート」には、「優しい方だ」の欄にチェックが入っている。
二年半前の私は、ひどくおこがましいことをしたものだ。
しかし、本当の優しさとは何なのだろう。自分とか、他人とか、そういうのをを考えない次元にある言葉なのかもしれない。
What is Tenderness? Do you know?
まず、「優しい人」とはどういう人のことを指すのだろう。大辞林によると、「優しい」とは
(1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。
(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。
(3)上品で美しい。優美だ。
ということを指す形容詞であるらしい。私たちが一般的に使う「優しい」という言葉は(2)が一番適当であると思われる。
ということは、「優しい人」というのは「思いやりが合って親切で、心が温かい人」ということになる。
しかし、古語辞書を紐解いてみると、そこには「優しい」という言葉は、動詞「やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義だという記述があった。
当たり前だが、古語というのは現代語の基礎となっている言葉である。古語では「身も痩せる思いがして辛い」という意味であった「やすし」が「心の温かい人」という意味に変わるまでにどのような背景があったのだろう。「身が痩せる思いがするほど献身的な行為を行う人は、心が温かい人だ。自分が辛い思いをしてでも、それを押し隠して親切に振るまい、思いやりのある行動をする」こんなところだろうか。
私は国語学などには疎いので、詳しいことは分からないので、これは全くの推測である。
私の説はどうでもいいとして、「優しい」という意味の根っこに「身が痩せる思いがして、辛い」という意味があるのは確実だ。しかし、「優しい人」は本当にそんなに辛い思いをしているだろうか。
していないだろう。「優しい人」は献身的に他人に接することで、心理的報酬を得ている。むしろ本当の「優しい人」というものは、親切をしているときには喜びを感じるものではないだろうか。
そうなると、この「優しい」という言葉は第三者の視点に立った言葉であると言える。ボランティアな活動も、他人から見れば、辛い行動のように見えることもあるだろう。それゆえ「辛いことをしている人=優しい人」と、他人が勝手に判断を下してしまうのだ。
つまり、自分の事を「優しい」と形容する人間は間違っている。「優しい」というのは、第三者が使うべき言葉であり、自分のことを指す場合には、「辛い思いをしている」という意味になってしまう。
私が塾に来たときに書いた「自己性格シート」には、「優しい方だ」の欄にチェックが入っている。
二年半前の私は、ひどくおこがましいことをしたものだ。
しかし、本当の優しさとは何なのだろう。自分とか、他人とか、そういうのをを考えない次元にある言葉なのかもしれない。
What is Tenderness? Do you know?
モラトリアム
2002年8月29日 塾の先生をやっていると、やはり先生の中にも「生徒に人気がある先生」と「そうでもない先生」というものが出てくる。
基本的に、アルバイトの先生はみんなそれなりに人気がある。みな大学生であり、中学生・高校生から見たら「お兄ちゃん、お姉ちゃん」という感覚が強いのであろう。愛称や、呼び捨てで先生を呼ぶ者もいる。失礼なことに当たるのかもしれないが、私としては「愛称は許す。呼び捨ては許さん」という態度で挑んでいる。口調に関しては、丁寧語は強要しない。
さて、その「先生の人気」だが、一体どうしてその先生に人気があるのか、というのは当然ながら先生によって違う。
理由1.かっこいいから。
残念ながら、私はこれは言われたことがない。同じ数学科の後輩が「○○先生かっこいい〜」と言われているのに、「Noblegray先生かっこいい〜」というのは全くない。
理由2.面白いから。
これはあるのかもしれない。しかし、廊下ですれ違う生徒達にクスクス笑われるのは、果たして一体……
理由3.変だから。
あ、これは間違いなく私だな。
他にも様々に理由はあるだろうが、とにかく、「人気のある先生」というのは非常に強い。私のようなアルバイトは、技術的には専任の方々には及ばない。専任の中には、私が教わった人もいるぐらいなのだ。年季が違う。
しかし、私達アルバイト君の利点は「生徒の人気」である。先生が好きなら、生徒はちゃんと着いてきてくれる。技術で足りない部分は、こういう部分で生徒を惹きつけていくしかない。
ただ、そのために生徒に媚びを売る、というのは間違えていると思う。先生は、あくまで自分のキャラクターで生徒達にアピールし、そこに魅力を感じてもらわなければいけない。
こうなると、「先生と生徒」という問題を超えて、「人と人」の関係になってくる。相手を信頼し、それに応える。最大限の力を発揮できるよう、協力を惜しまない。
私が、このアルバイトで得たものは非常に大きい。十月で、人間関係(他の先生との関係)のもつれから辞める予定なのだが、なんだか惜しくなってきた。
一日の三分の一を睡眠に費やし、三分の一をパソコンに使い、残りの三分の一を塾に使っている今の私。塾が欠ければ、一日の三分の一はどう過ごせばいいのだろうか。
答えを出す猶予は、あと二ヶ月もない。
基本的に、アルバイトの先生はみんなそれなりに人気がある。みな大学生であり、中学生・高校生から見たら「お兄ちゃん、お姉ちゃん」という感覚が強いのであろう。愛称や、呼び捨てで先生を呼ぶ者もいる。失礼なことに当たるのかもしれないが、私としては「愛称は許す。呼び捨ては許さん」という態度で挑んでいる。口調に関しては、丁寧語は強要しない。
さて、その「先生の人気」だが、一体どうしてその先生に人気があるのか、というのは当然ながら先生によって違う。
理由1.かっこいいから。
残念ながら、私はこれは言われたことがない。同じ数学科の後輩が「○○先生かっこいい〜」と言われているのに、「Noblegray先生かっこいい〜」というのは全くない。
理由2.面白いから。
これはあるのかもしれない。しかし、廊下ですれ違う生徒達にクスクス笑われるのは、果たして一体……
理由3.変だから。
あ、これは間違いなく私だな。
他にも様々に理由はあるだろうが、とにかく、「人気のある先生」というのは非常に強い。私のようなアルバイトは、技術的には専任の方々には及ばない。専任の中には、私が教わった人もいるぐらいなのだ。年季が違う。
しかし、私達アルバイト君の利点は「生徒の人気」である。先生が好きなら、生徒はちゃんと着いてきてくれる。技術で足りない部分は、こういう部分で生徒を惹きつけていくしかない。
ただ、そのために生徒に媚びを売る、というのは間違えていると思う。先生は、あくまで自分のキャラクターで生徒達にアピールし、そこに魅力を感じてもらわなければいけない。
こうなると、「先生と生徒」という問題を超えて、「人と人」の関係になってくる。相手を信頼し、それに応える。最大限の力を発揮できるよう、協力を惜しまない。
私が、このアルバイトで得たものは非常に大きい。十月で、人間関係(他の先生との関係)のもつれから辞める予定なのだが、なんだか惜しくなってきた。
一日の三分の一を睡眠に費やし、三分の一をパソコンに使い、残りの三分の一を塾に使っている今の私。塾が欠ければ、一日の三分の一はどう過ごせばいいのだろうか。
答えを出す猶予は、あと二ヶ月もない。
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