こだわり。

2002年7月22日
 私にはこだわりとか、執着というようなものがあまりない。

 全くないというわけではないが、それでも他の人に比べると、やはり「ない」という部類に入ってしまうのだろう。

 アルバイト先の塾で、新しい白衣の配布があった。今までのものは、生徒にらくがきをされたり、汗で首筋が黒ずんでいたり、ほつれているところもあったりして、なかなかにボロボロな状態であった。

 全員がそんな状態の白衣であったから、全員分、いっぺんにまとめて買い換えたのだ。

 この白衣、塾から借りるもので、自分で買うわけではない。だが、名前を書いたり、バッヂをつけたりと、それなりのカスタマイズは許されている。背中に悪やら魔やら書いている(生徒に書かれたのかもしれないが)人もいた。

 この白衣は使いまわしで、私が使っていたものも、これで三代目の主人のようだ。胸元には、前の先生の名前が書かれ、黒マジックで消され、また書かれ、それを繰り返してようやく私の名前が下のほうに書かれてある。

 塾も三年目であるので、これにはそれなりの愛着がある、と思っていた。しかし、新しい白衣を貰ったすぐに、私はそれを丸めてポイした。

 前の白衣を自宅に持ち帰る人がほとんどで、みな、愛着を見せている。それに比べて、私のこの愛着の無さは何だろうか。

 同じ事が人間関係にも言える。私は、昔の友達にこだわらない。人間関係を丸めてポイすることはかなわないが、一年間音信不通なら携帯電話の番号ぐらいならポイする。

 過去にこだわらない。

 しかし、私は、こと恋愛感情にのみ、執着心を持つ。

 もう半年以上前に別れてしまった彼女を今でもずっと想っている。おそらく、これは執着というよりかは、自己愛に近いものではないかと、自己分析している。

 他人に自分の存在を認めてもらいたい、という感情は誰にもあるものだと思うが、私の場合、今まで自分の存在を認めてくれる人間に出会っていない。彼女は、刹那とはいえ、私のことを想ってくれていた、と思う。

 私は、自分を認めてくれる人を求めているから、今でも彼女を好きなんだと思う。

 おそらく、この先も、私は自分以外のものに大した執着を示さないまま、年老いていくだろう。

 それは悲しいことなのか。

 楽なことなのか。

 

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